キャンパスダイアリー学生生活

考古学研究会が発掘調査を実施【9月14日】

2022.09.26(月)

宇治おはらい町の参宮道西側の一画に位置する株式会社湊の社史編纂にあたり、本学考古学研究会が、敷地内の一部を発掘させていただけることとなり、伊勢市文化政策課の協力のもと、岡田登本学名誉教授が指導して、学生8名が発掘調査を行った。

敷地内には、江戸時代宇治の自治行政を担った「宇治会合所跡」があり、隣接地東側には建治元年(1275)に後宇多天皇の命によって蒙古襲来の異国降伏を祈って創建された法楽舎と豊臣秀吉によって再建されたその末寺明王院不動堂(護摩堂)があり、その周辺には神宮祠官や伊勢信仰を全国に伝えた御師邸が立ち並んでいた。このような歴史的事実を検証するため、宇治会合所跡の遺構残存の有無や広がりを確認し、鳥居前町形成の時期や五十鈴川の洪水氾濫による埋没、火災などによる整地状況などを把握するために発掘調査(2×8mの東西トレンチ1ヶ所)を行い、開発に伴う埋蔵文化財保存の指針を得ることを目的としている。

調査期間は、第1次調査(追加調査含む)が令和4年3月7日~5月9日(22日間)と、今回の第2次調査が同年8月25日~9月15日(15日間)。第1次調査ではコロナ禍のため、思うように学生が参加できず、西端1区と東端8区を地山(自然地形)面まで、現地表下1.8mほどまで掘下げたが、2区から7区までは地表下40cmほどの掘削で終わった。第2次調査ではさらに掘り進め、埋没状況と遺構の有無を確認することを目標とした。さらに第3次調査(冬期休暇を予定)を計画しており、最終的には地表下約1.8mの深さまで発掘する予定である。

出土遺物は、谷地形を数次にわたって埋め立てた生活廃棄物・瓦礫による整地土に含まれ、江戸時代のものを主としている。最も古い時期のものは、平安末から鎌倉時代初頭ごろの山茶碗の破片があり、埋め立てに伴って周囲から持ち込まれたもの。また遺構としては、建物礎石、水甕あるいは便槽と考えられる赤焼大甕、赤土による貼床、五十鈴川による洪水層と考えられるものが確認されたが、今後検討して結論を出すとのこと。

 発掘に参加している考古学研究会委員長 筒井啓仁さん(国史3)は、「私は第1次調査から参加しており、重機類を用いず、すべて手掘りで調査を行ってきた。2次調査では、測量機具を利用した発掘作業に参加でき、土に手を触れることで、土の色や固い柔らかいといった土の性質も知ることができとても貴重な体験ができた。土の塊のなかから古銭や土師器・陶磁器・瓦の破片などが出土しており、復元できそうなものは復元し、倉陵祭(10月29・30日)で展示する予定」と話してくれた。

 また、2次調査に初めて参加した高木里帆さん(国史1)は、「考古学に興味があり、入学前から考古学研究会のSNSを見ていた。実際に発掘調査ができてとても楽しい」と話してくれた。

 岡田名誉教授によれば、「現在、大学生が県や市町の発掘調査に参加できる機会はほとんどなく、発掘調査の技術を学ぶ場がないことが、大学教育の中でも問題になっている。発掘調査を担当してきた県市町の多くの人が定年退職を迎える中で、後進を育てることが全国的に急務となっている。歴史系の博物館学芸員の採用に当たっても、発掘調査の経験や報告書をまとめたことが採用の条件となっている場合もあり、採用する側とされる側での乖離がある。今回、発掘調査実習の場を設けていただいた株式会社湊の社長湊一彌さんには厚く感謝したい。」と話された。

参加学生は以下の通り

第1次調査―大和久直紀・鈴木翔大(神道4)、手倉森結南(国史4)、筒井啓仁・成瀬元哉・櫛田暉・橋本陽翔(国史3)、鈴木秋津(神道2)・吉川磨羽(国史2)

第2次調査―高木里帆・高谷悠希・望月裕太・若林祥吾(国史1)、大和久・筒井・成瀬・櫛田

1次追加調査―磯和あおい(神道2)・大河内茜・鈴木遥(国史2)・山田郁哉(国史1)、筒井・成瀬・櫛田・吉川・鈴木・高木

 

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