くず籠の利用
−執筆上のちょっとしたコツ−


捨てることの重要性

 論文を書くとき、調べたこと、考えたことのすべてを盛り込むことはできない。
 おそらく、10調べたうちの1〜2を書けたら、いい方だろう。
 自分のテーマ、言いたいことの支えとなる証拠を一つ見つけるために、何百もの資料を渉猟することは、研究作業の常である。しかし、その貴重な証拠も、論の立て方によっては、使うことがなく終わることもまた、少なくない。

 アウトラインは手直しをしなければならない。
 アウトラインを次から次へと修正することによって、自分の言いたいことが徐々に明確になってくる。
 「真に新しい」何かを思いつくのは、その手直しをする過程においてであることが多いのである。

 そんなわけで、論文を「書く」ということは、しばしば「自己否定」の様相を呈する。
 苦労して調べたこと・書いたことを自ら捨て去り、あらたに論を組み立て、文章化してゆく。
 それが、論文書きの実態である。
 それは、いわゆる「推敲」というような、文章表現の洗練の問題ではなく、論文書きの本質にかかわることである。

 しかし、正直に言うならば、調べたこと・考えたことをいったん文字に定着させると、それを自分で消し去ることはなかなかむずかしい。
 「せっかく苦労して調べたことなのだから」、あるいは「せっかくここまで書いたのだから」、それは、なんとか活かしたいと思うのが人情である。

 また、「電脳式」の場合は、あまりにも簡単に書いたものを消去できてしまうという問題もある。
 「紙と鉛筆」の場合は、書き損じは「反古」という形で残るが、デジタル文字は、いったん画面から消去すると、影も形もなくなってしまう。
 「あれは残しておくべきだった」と後悔する場面を想像すると、デリートキー(削除キー)を押す指も止まってしまう。

 けれども、それは、非常に危険な心理である。
 そうしたためらいは、アウトラインの手直し、論のあらたな展開の妨げとなる。


くず籠を作る

 そこで、筆者は「くず籠」を作っている。

 これは、「電脳式」以前の、「紙と鉛筆」で書いていた時の実体験から思いついたことである。
 「紙と鉛筆」で文章を書いていて、論を大幅に手直ししたり、文章を変えたりした時、不要になった原稿用紙は、手でくしゃくしゃとまるめて、くず籠に捨てる。
 ところが、しばらく書き進めてゆくと、以前不要だと思って捨てた部分が、やはり必要だと思い直す。
 そんな時は、屑籠からゴソゴソとまた反古を取り出してきて、それを開いて見る。
 そんなイメージで、パソコンの中にも「くず籠」を作るのである。

 パソコンの画面には、はじめからそれに類したものがある。
 Macなら「ゴミ箱」、Windowsなら「ごみ箱」である。
 ここで言うのは、それとは別。
 論文を書いているワープロ(テキストエディタ)の文書ファイル内に作るのである。

 具体的な方法は、次のとおり。
 まず、アウトライン上の最後に「くず籠」と見出しを付けて、項目を一つ作る。
 そして、その項目の中に、書いているうちに不要になった資料や文章を入れてやる。
 それぞれの資料や文章には、やはり見出しをつけてそれぞれを1項目とする。

 たった、これだけのことである。
 つまり、不要になった(と、ある段階では考えた)資料や文章をそれぞれ一つの項目として、それを「くず籠」という項目の下位に置くということなのである。

 この例は、「ワード」で「くず籠」を作った例である。

 こうすることの最大のメリットは、かるい気持ちでアウトラインや文章の手直しをすることができることである。
 もう一つのメリットは、後で「しまった!」と言わなくてよくなることである。
 さらに、付け加えるならば、この「くず籠」に入れた記事が、別の研究のタネになる可能性もある。

 経験的に言うならば、一つ目のメリットがほとんどすべてである。
 やはり、いったん不要と判断した資料や文章は、たいていの場合、不要なままである。
 しかし、だからといって、最初から思い切って消去してしまえば良いということにはならない。
 とりあえず別の所に移してあるだけで、いつでも復活させることができるという心理的余裕が、この場合、たいせつなのである。


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