大伯皇女(おおくのひめみこ)

◆伊勢志摩を歩く:22ページ
◆解説:『萬葉集』(まんようしゅう)につぎの歌がある。
大津皇子(おおつのみこ)、ひそかに伊勢神宮(いせのかむみや)に下りて上り来る時に、大伯皇女(おおくのひめみこ)の作らす歌二首
 わが背子(せこ)を 大和(やまとへ)へやると さ夜(よ)ふけて 暁露(あかときつゆ)に 我(わ)が立ち濡(ぬ)れし(巻2・105)
 二人(ふたり)行(ゆ)けど 行き過ぎ難(かた)き 秋山を いかにか君が ひとり越(こ)ゆらむ(巻2・106)
 【大津皇子が、ひそかに伊勢の神宮に行き、都へ帰るときに、大伯皇女が作られた歌二首
 いとしい弟を 大和へ送り出しているうちに 夜がふけて あかつきのつゆに わたしは立ちぬれてしまった。
 二人で行っても 行き過ぎるのがむずかしい 秋山を どうやってあなたは ひとりで越えるのだろう。】
皇太子・草壁皇子(くさかべのみこ)に対し謀反を企てた罪で捕らえられることを知った大津皇子(おおつのみこ)が、斎王であった姉・大伯皇女(おおくのひめみこ)に最後の別れに訪れた。大伯皇女と大津皇子は天武天皇(てんむてんのう)と大田皇女(おおたのひめみこ)との間に生まれた兄弟である。この二首からは弟の身を案じる姉・大伯皇女の気持ちが伝わってくる。
結局、大津皇子は捕えられ処刑されてしまう。皇子24歳、姉の皇女26歳のときであった。屍(かばね)を葬ったのが二上山(ふたかみやま・通称「にじょうざん」。奈良県葛城市と大阪府太子町とにまたがる。)である。『萬葉集』には「この世の人である私は、明日からは二上山を弟と見ることにしよう」という大伯皇女の歌も載せている。
◆参考文献:萬葉集(新編日本古典文学全集など)

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