伊勢志摩百物語~渚・港を歩き憩う~
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- 7 -五十鈴川伊勢自動車道二見JCT→鳥羽市朝熊東IC1024242715576二見浦駅五十鈴ヶ丘駅御塩殿神社御塩浜ともいきの国伊勢忍者キングダムに成立した『伊勢新名所絵歌うた合あわせ』には、打越浜で烏帽子男が浜を均したり塩を運ぶ様子、樋ひ門もんといった製塩の様子が描かれており、当時既に入浜式塩田が確立していたことが見て取れます。また『二見町史』によれば、荘しょう村の古記録である寛延4年(1751)の旧記帳に、風波によって少しづつ浸食が進んだとの記述があると記しています。結果、五十鈴川川岸の現在地への移転となりましたが、当初は「浜」にあったわけです。そのような経緯を考えれば、御塩浜という呼称は、歴史の証人です。 また御塩殿については、延暦23年(804)の『止と由ゆ気け宮ぐう儀式帳』に建物の記録が見えており、『神宮要綱』は「皇太神宮御鎮座の時大おほ若わく子ごの命みことの創始に係ると云ふ」と記しています。『伊勢参宮名所図絵』には、社の荘厳な姿が描かれており、『方丈記』を著した鴨長明は、その神々しい佇まいを「二見潟 神さびたてる 御塩殿 幾千代みちぬ 松陰にして」と詠っており、鳥居近くに歌碑が建てられています。 このように御塩浜の塩づくりの歴史は大変古く、かつ現在でも古式に則って行われます。7月下旬から8月上旬の土用頃に訪れれば、採さい鹹かん作業が見られるかもしれません。樹皮がついたままの原始的な黒木鳥居も、珍しく見どころでしょう。(朝倉 正樹)■アクセス二見浦駅・五十鈴ヶ丘駅より徒歩30分、汐合バス停より徒歩10分。■周辺の見どころ◉御塩殿神社…内宮所管社で御塩殿鎮守神(別名「塩土翁」)を祀る。二見浦駅から徒歩15分。◉花房志摩守供養碑…寛永8~18年(1631~41)の間、山田奉行を務め、二見郷を神宮の神領に復帰させた。後に二見郷の人々が報恩の意をあらわすため建立した。御塩浜から徒歩10分。黒木の鳥居神社後方の御塩組汲入所鴨長明の歌碑

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