伊勢志摩百物語~渚・港を歩き憩う~
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- 15 -甲賀の浜田海岸国府白浜阿児の松原海水浴場志摩国分寺卍26075051461128われる。」という紹介がなされています。もともとは国府の国分寺、それから国府と甲賀の境にある大日山、明治に入って現在の見宗寺へと、安置される場所には変遷がありますが、この本尊様の前で当時の人々の思いを偲ぶことが出来ます。 『古事記』『日本書紀』という日本最古の歴史書に記された伝承には、浜辺で神々が泣き憂う場面が散見されます。『古事記』では国土経営の協力者少すくなひこなのみこと彦名命を失った大国主神が浜辺で憂う場面で「愁うれう」とあり、兄の釣針を失くした山幸彦が浜辺で憂う場面には「泣なきうれう患」の字が当てられています。『日本書紀』では山幸彦が憂う場面に「憂うれう」「吟なげく」「歎なげく」「患うれう」「嗟なげく嘆」「歎なげ息く「愁うれいなげく吟」の字が当てられています。どの表現からも主人公の深い憂いが感じられますが、これらの憂いや悩みはいずれもその後解決しています。 さて、志摩市阿児町甲賀の浜田海岸では毎年盆の季節の8月13日に「大念仏おどり」と言われる新亡者(盆より1年以内に死没した人)供養の行事が行われます。この大念仏おどりは、「念仏供養」と「こおどり」との2部に分かれます。念仏供養は新亡者のための供養回えこう向(仏事法要を営んで死者を追ついぜん善すること)であり、こおどりはその新亡者のためにする精霊慰いしゃ籍死者をなぐさめいたわること)の踊りであるといわれています。「こおどり」は「小踊」と書かれますが、おそらくは「鼓かんこおどり踊」のことであろうと考えられます。このかんこ踊りは伊勢志摩地域に広く見られる盆行事で、南国を思わせる植物性の不思議な衣装や被り物を纏い鼓を持った踊り手が輪になって鼓を打ちながら踊ります。 浜辺で想い憂えた神々の物語でも、盆に身内の死を弔う大念仏おどりでも、浜辺には心の曇りと向き合える「場」としての性質を感じられるのではないでしょうか。(新田 惠三)■アクセス鵜方駅前発のバスで約25分甲賀下車。鵜方駅から車で約15分。■周辺の見どころ◉珂夫賀神社(志摩市阿児町甲賀)◉妙音寺(志摩市阿児町甲賀 曹洞宗)◉福満寺(志摩市阿児町甲賀 曹洞宗)◉國府神社(志摩市阿児町国府)鼓こおどり踊

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