| 氏名 | 上野 秀治 (ウエノ ヒデハル) |
| 専門分野 | 大名生活史・華族制度史 |
| 学位 |
| ◆代 表 業 績 |
| 著書(単著) | ||
| 大岡越前守忠相 | 平成07年12月 | 四六判 76頁。 皇學館大学講演叢書第81輯として刊行。皇學館大学市民文化講座の講演を刊行したもの。 【単著】 皇學館大学出版部 掲載頁:76頁 |
| 著書(共著、編著、翻刻、翻訳、注釈等) | ||
| 平成新修 旧華族家系大成 上巻 | 平成08年09月 | 霞会館華族家系大成編輯委員会編(代表者上野秀治)。B5判888頁。上記1の昭和版を大幅に改訂した。 【共著】 霞会館 掲載頁:888頁 |
| 平成新修 旧華族家系大成 下巻 | 平成08年11月 | 霞会館華族家系大成編輯委員会編(代表者上野秀治)。B5判896頁。上記2改訂版。 【共著】 霞会館 掲載頁:896頁 |
| 三重県の歴史 | 平成12年07月 | 稲本紀昭、駒田利治、勝山清次、飯田良一、西川洋と共著。近世第5〜第7章(153ー258頁)と年表近世(P、12〜P、15)執筆。 【共著】 山川出版社 編者名及び共著者名:稲本紀昭、駒田利治、勝山清次、飯田良一、西川洋 掲載頁:(153ー258頁) (P、12〜P、15) |
| 三重県史 資料編 近世2 | 平成15年03月 | 領主編のうち第4〜第8章(207‐348頁)および第14章の一部(931-962頁)の編集担当。総合解説(1-36頁)を本巻編集の代表者として執筆。 【共著】 三重県 掲載頁:(1-36頁) (207-348頁) (931-962頁) |
| 学術論文 | ||
| 大名分家の基礎的考察―「内分」分家を中心に― | 昭和48年03月 | 大名の領地の一部を分けて成立した分知分家には、将軍から領地朱印状を交付される別朱印分家と交付されない内分分家があた。分知分家を両者に分類し、それぞれの特色を明らかにした。(373-398頁) 【単著】 「徳川林政史研究所 研究紀要」昭和47年度 掲載頁:(373-398頁) |
| 大名家格制についての問題点―官位制を中心に― | 昭和49年03月 | 大名の家格を考えるには官位が最も適当とみて、寛政10年までの叙任のうち、従四位下や侍従以上の者について分析し、幕府が政策的に官位を利用し大名統制していたことを解明した。(237−254頁) 【単著】 「金鯱叢書」創刊号(徳川黎明会刊、思文閣発売) 掲載頁:237−254頁 |
| 明治初期尾張徳川家の経済構造 | 昭和51年03月 | 尾張徳川家が家禄収入をいかに運用したかを解明し、土地集積の一端も明らかにした。(19−40頁) 【単著】 「社会経済史学」第41巻第5号 掲載頁:19−40頁 |
| 分与賞典禄の奉還問題について ―尾張徳川家を例に― | 昭和60年06月 | 明治6年政府が、禄を奉還する代わりに産業資金などを士族らに交付する政策を打ち出す。これに応じて尾張徳川家を通じて分与賞典禄の奉還を願い出る者があった。この扱いを徳川家がいかにしたか、旧領主の立場を主張するものの、結局は政策どおりにしていったことを解明した。(299−354頁) 【単著】 「金鯱叢書」第12輯 掲載頁:299−354頁 |
| ある菰野藩士の記録 ―天保・弘化期の竜崎守道の生活― | 昭和62年10月 | 菰野藩の上級藩士である竜崎守道の日記を分析し、江戸と菰野での公私にわたる行動の実態を解明した。(31−48頁) 【単著】 「地方史研究」第209号(地方史研究協議会) 掲載頁:63−84頁 |
| 江戸城登城日をめぐる幕藩関係―菰野藩主土方家を例に― | 平成15年10月 | 土方雄興日記から、雄興と父義苗の江戸城登城日の出勤、不参を表にし、形式的になってはいるものの、将軍に対する服属儀礼が天保期においても続行されていたことを論じた。(76-98頁) 【単著】 竹内誠編『徳川幕府と巨大都市江戸』(東京堂出版)所収 掲載頁:(76-98頁) |
| その他 | ||
| 『岩倉公実記』編纂関係書簡補遺・編年索引(1) | 平成18年03月 | 香川敬三関係文書から『岩倉公実記』編纂に関係する書簡類を3回にわけて翻刻してきたが、漏れがあったため補遺として7点加え、これまで翻刻してきた書簡類の年代比定をして、明治16年から18年までの編年索引を作成。(A5判、170-187頁) 【単著】 『皇學館大学文学部紀要』第44輯 |