氏名 岡田 登 (オカダ ノボル)
専門分野 日本考古学 日本古代史 神宮史
学位

◆代 表 業 績

著書(単著)
志摩市制5周年志摩のあけぼの展ー考古資料からみた志摩の歴史ー 平成22年01月 志摩市制5周年を記念して、志摩国(尾鷲市から鳥羽市)出土の志摩を代表する考古資料を、志摩市立磯部図書館郷土資料館で展示し(平成22年1月7日〜2月28日)、それらの資料を通じて、旧石器時代から江戸時代までの歴史を解説した。(A4判、総33頁)
【単著】
志摩市教育委員会・同磯部図書館郷土資料館
掲載頁:総33頁

著書(共著、編著、翻刻、翻訳、注釈等)
磯部町史 上・下巻 平成09年09月 編纂委員長:吉田敏夫 共著者:岡田 登他19名 担当:【上巻】沿革編の原始から中世までを、考古遺物(図版化)や各種文献を用いて詳述し、古代では磯部と粟島の関係、答志郡家の所在地、磯部駅家の所在地などで、新説を提示した。特に、磯部駅家の所在地は定説となりうるものと考える。(A5判、211〜341頁) 【下巻】宗教編の伊雑宮と佐美長神社について、伊勢神宮の総説をして、両宮社の社名、社格、創祀、鎮座地、祭神、神職、祭祀、式年遷宮、宮域、殿舎、装束・神宝、神領・経済、崇敬、仏教関係などの各項目を詳述した。特に伊雑宮の鎮座地・祭神・仏教関係と佐美長神社の祭神などで新説を提示した。両宮社について、唯一まとまったもの。(A5判、295〜415頁)
【共著】
磯部町
編者名及び共著者名:吉田敏夫 岡田 登他19名
掲載頁:上巻・211〜341頁、下巻・295〜415頁
紀勢町史記録編 平成13年10月 共著者:岡田登・上野利三・小玉道明他。第1章「原始・古代・中世をたどる」を執筆。町内63カ所の遺跡とその他出土遺跡の図版を作成し、解説を加え、また町内に関する古代・中世史料を集成し解説を加えた。神武天皇東征伝承に関わる錦地区の三角縁神獣鏡ほかの鏡や子持勾玉などの集成は、当地区の重要性を明確にした。(B5判、31〜115頁)
【共著】
紀勢町
編者名及び共著者名:岡田登・上野利三・小玉道明他
掲載頁:31〜115頁
多度町史 資料編1 考古・古代・中世 平成14年03月 共著者:岡田登・井後政晏・岡野友彦。担当:「考古編」を執筆。町内78カ所の遺跡について、出土遺物・遺構の図版をもとに解説を加えた。我国最初の木簡出土遺跡として著名な柚井遺跡や多度神宮寺・多度経塚などの資料は唯一まとまったもので、いくつか新見解を加えた。(B5判、3〜268頁)
【共著】
多度町教育委員会
編者名及び共著者名:岡田登・井後政晏・岡野友彦
掲載頁:3〜268頁
伊勢市史 第6巻 考古編 平成23年03月31日 伊勢市史考古編の第1章調査研究史、第2章時代別概観、第3章遺跡概観、第5章試掘調査遺跡、考古関係文献一覧、遺跡分布地図を執筆・作成した。時代別概観では、旧石器時代から近世にわたる時代概観を行い。遺跡概観では、第1節北浜地区から第16節四郷地区までの450箇所ほどの遺跡について紹介した。試掘遺跡は宇治地区1箇所、山田地区6箇所について、試掘調査概要を報告した。11頁〜548頁、753頁〜817頁、岡田登・田村陽一・古川毅・和田年弥・山澤義貴
【共著】
編者名及び共著者名:岡田登・田村陽一・古川毅・和田年弥・山澤義貴
掲載頁:11頁〜548頁、753頁〜817頁

学術論文
伊勢国市村駅家所在地考 昭和55年12月 市村駅家の所在地については、公卿勅使伊勢参宮時にみえる「一志駅家」の誤りと認めたり、安濃郡か一志郡の何れかに認めるかで諸説がみられたが、『和名抄』郷名や『江家次第』などの検討から、安濃郡の所在で、『法楽寺文書紛失記』にみえる条里地名「市村里」の条里復元から、津市殿村付近に想定され、この付近の考古学的調査により、奈良平安期の遺物が多い小字「本馬領」がそれであると論じた。(35〜51頁)
【単著】
皇學館大学人文学会、皇學館論叢13巻6号
掲載頁:35〜51頁
伊勢大神宮寺としての逢鹿瀬寺について 昭和61年10月 『続日本紀』と『太神宮諸雑事記』にみえる伊勢大神宮寺の所在地については三説あるが、従来誰も指摘しなかった『鎌倉遺文』所収の文書により度会町の相鹿瀬廃寺でよく、その地は歴史地理学的検討から仏教を忌む神宮側との妥協により配置されたもので、出土古瓦から皇大神宮の相殿神を祀る佐那神社や伊勢大鹿氏との関係を、その変遷については、道鏡政権の盛衰と神宮の遠・近両境界が関わることを論じた。(1〜8頁)
【単著】
皇學館大学史料編纂所、史料85号
掲載頁:1〜8頁
三重県鈴鹿市高岡山遺跡群発見の銅鐸片 平成02年03月 高岡山遺跡群の東の岡遺跡で発見された銅鐸片を紹介し、最古段階の菱環鈕式銅鐸(全国で8例)であること、畿内より東側で発見されたことは最古銅鐸製作地を考える上で重要で、本銅鐸の詳細な分析と県下出土の他の銅鐸(15カ所17個体)との関係や玉作り遺跡との関係について考察した。(71〜87頁)
【単著】
日本考古学会、考古学雑誌75巻4号
掲載頁:71〜87頁
伊勢大鹿氏について(上・下) 平成07年02月 古代伊勢国の氏族中、天皇系譜に唯一繋がる氏族大鹿氏(采女として中央に出仕し敏達天皇の夫人となり舒明天皇の祖母にあたる菟名子)について、本貫地、出自、采女、三宅(屯倉)、壬申の乱、聖武天皇の伊勢巡幸と国府・国分寺、伊勢大神宮寺との関係などについて論じた。(1〜7/3〜8頁)
【単著】
皇學館大学史料編纂所、史料135・136号
掲載頁:1〜7/3〜8頁
伊勢神郡内建立の大雷寺廃寺をめぐって 平成15年12月 伊勢神郡内では、仏教を穢として忌む風が強く、寺院の建立は制限されていたが、神郡内で斎宮の近くに建立された大雷寺廃寺(松坂市櫛田町)からは、同じ笵で作られた瓦が、阿児町の志摩国分寺や桑名市の西方廃寺で出土しており、これらの寺院創建の背景について論じた。道鏡政権下の仏教政策や神祇伯・神宮祭主大中臣清麻呂と在地氏族との関わりの強いことを述べた。(1〜30頁)
【単著】
皇學館大学文学部紀要 42輯
掲載頁:1〜30頁
壬申の乱及び聖武天皇伊勢巡幸と北伊勢―朝明郡家跡の発見を契機として―(上)(下) 平成16年06月 四日市々大矢知町久留倍遺跡が朝明郡家跡であることが判明し、壬申の乱の折、大海人皇子が望拝した迹太川の位置とその意味を明らかし、聖武天皇が天平12年(740)に、伊勢行幸された理由の一つに曽祖父大海人皇子の東下向を追慕することがあり、従来その比定地で問題となっていた巡幸時の『万葉集』の歌も整合的にとらえることができ、狭残行宮が久留倍遺跡と考えて問題のないことを明らかにした。(1〜8頁/7〜12頁)
【単著】
皇學館大学史料編纂所、史料191・192号
掲載頁:1〜8頁/7〜12頁
伊勢朝日郎の誅伐と宝塚古墳群 平成17年10月 『日本書紀』雄略天皇十八年(四七四)条に、物部氏を遣わして、伊勢朝日郎を伐った事が見えている。この朝日郎は、「アサカのいらつこ」と訓んで、津市南部から多気郡北部にかけて推定される阿坂国を支配した豪族で、同天皇三年に見える斎王と湯人との関係を讒言し石上神宮へ逃げ隠れた阿倍国見の別名と考え、装飾付船形埴輪が出土した松阪市宝塚1号墳より主丘部が大きい2号墳が、朝日郎(阿倍国見)の墓であることを論じた。(A判、60〜82頁)
【単著】
『神道史研究』第53巻第2号(神道史学会)
掲載頁:60〜82頁


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