伊勢志摩百物語~渚・港を歩き憩う~
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- 3 -宇治山田港内田造船五十鈴川宮川下野工業団地大湊小松井鉄工所献忠寺大湊墓地卍748志宝屋神社大湊海岸 海岸の松蔭に、義のり良よし親王(後醍醐天皇第7皇子)御乗船地の石碑がひっそりと立っていました。延元3年(1338)、義良親王、北畠親房はここから出帆して奥州へ向かったと伝わります。南朝の「軍港」でもあったのです。 江戸時代の『伊勢参宮名所図会』には、荷物を運ぶ帆船や参宮の人々を乗せた屋根付きの船、釣り船などが行き交う様子が描かれ、その賑わいがうかがえます。全国各地の神宮の御厨や御園から調進される貢物や生活物資はここに運び込まれ、「伊勢神宮の外港」として神宮にとっても重要な港でした。 また、神宮造営の用材を集積する広大な池、神宮貯木場も。木曽御料林で伐採した用材は、木曽川を経て、桑名から伊勢湾を南下し、大湊の貯木場に運び込まれました。そして両宮の用材に分けられ、内宮用材は五十鈴川、外宮用材は宮川をさかのぼったのです。 大湊の造船の技術は歴史の舞台でも活躍しました。南北朝時代、水軍を率いた九鬼嘉隆の鉄甲船「安宅船」や、豊臣秀吉が朝鮮出兵に使用した「日本丸」などはこの地で造られました。(千種 清美)■アクセス伊勢市駅前から大湊行バス約20分、八幡宮前下車、徒歩5分。■周辺の見どころ◉日保見山八幡宮…大湊の産土神をまつる神社です。日保見山は、船出の日和や潮の様子をみる山という意味です。◉ゴーリキマリンビレッジ…海釣りやバーベキューを楽しめるアウトドア施設です。外宮末社の志宝屋神社松蔭に立つ南朝ゆかりの石碑海岸に面した松林

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